❖プロフィール

カウンセラー歴9年。これまで1000件以上の恋愛と人間関係のご相談を受けてきました。元占い師で約400件の鑑定実績があります。

 

基本性格は内向型でネガティブ思考。だからこその楽天主義。得意技は爽やかな毒舌。

 

耳障りのイイ優しげな言葉だけでごまかさない、直球勝負の心理カウンセラー/セラピストです。


1971年 栃木県宇都宮市生まれ

5歳年下の弟と6歳年下の妹のいる長女

 

桐朋学園大学短期大学部 芸術科音楽専攻卒

 

❤家族:結婚10年目の主人&猫三匹

❤血液型:A型

❤星座:みずがめ座

❤動物占い:クロヒョウ

❤バースデーナンバー:1-11-11

❤趣味:料理、読書、旅行

❤最近のお気に入りの場所:千葉県の鋸山

❤好きな食べ物:エビ、お肉、チーズ、貝類、パクチー
❤興味のない食べ物:汁物

◆得意分野

◆親子関係のご相談

◆恋愛相談

 ※特に”セカンド”になりがちな女性のご相談

◆職場の人間関係構築についてのご相談

◆転職に関するキャリア相談



心理カウンセラーとしての想い


毒親育ち達に「しぶとく生きる術」を提供したい。

私が、あなたにご提供出来る「しぶとく生きる術」は、一言で表現すると『ご自愛』です。

『ご自愛』とは、自分を愛する能力であり技術です。

 

※心理学には”自己愛”という概念がありますが、『ご自愛』は、その”自己愛”とは全く別の概念です。

心理学においての毒親育ちの問題は、単に「親から酷いことをされた・されている」という『目に見える被害問題』だけに、とどまる話ではありません。

 

一般的に、いわゆる毒親問題「親=加害者」「子=被害者」という単純な構造で認識されているようですが、この問題の本質は、そんな単純なものではないということです。

 

 

もし、一般の人が認識しているような単純な構造が正解であるならば「親がいなくなれば、なんの問題も起きない」ということになります。

 

しかし、実際には「親との関係を切って」「親が死んだ後」でも、親以外の人間関係になんらかの問題が生じ、悩み苦しんでいる人が多い、というのが実情なのです。

 

 

 

 

毒親育ちが抱える「問題」は、特に、恋人や夫婦関係など、ごく身近な人間関係に出やすいです。 逆に言うと、身近な人間関係がうまくいかなくて悩むことが多い人は、「自分と親との関係」の中に、心理的なこじれや歪みがあるということも考えられますので、一度、じっくり見直してみることをオススメします。

 

 

毒親育ちの問題は、ハッキリ言って、とても複雑で難しい問題で、かなり根の深い問題です。

 

ですから、この「問題」に取り組むには、それ相応の覚悟と、その覚悟を持ち続けるしぶとさが必須になります。

 

 

しかしながら、、、

実は、毒親育ちの人には、覚悟をしっかり決められるだけの「自分の考え」や「自分の意思」を持てない傾向が多く見られます。特に、過干渉・過保護タイプの親を持った毒親育ちは、この傾向が強いです。

 

また、極度に「失敗」を怖れていて、「失敗するくらいなら、はじめからやらないほうがまし」という感じの『やる前にあきらめる思考パターン』を持っていることが多いのも特徴です。

 

 

 

・・・なーんて言われると「じゃぁ、私の問題は解決出来ないってことじゃないの?無理ってことじゃないの?」って、すぐに「ムリカベ(by妖怪ウォッチ)」が出てきてしまう・・・それも、毒親育ちの思考パターンのひとつだったりします。

 


 

毒親問題を解決するために、なによりも大切な最初のステップは『自分自身との関係を良好にする』ことです。

 

これを私は「ご自愛」と名付けました。

 

 

「毒親」と呼ばれる親の最大の特徴は、大人になりきれていない「自己愛性パーソナリティ」と言えます。

 

そして、多くの毒親育ちは、その親の「自己愛を満たすこと」を第一義に生きてきた影響で、自我の発達が極端に遅れているという「心理的な問題」を抱えています。

 

 

毒親育ちは子供の頃、とにかく「親がご機嫌でさえいてくれれば安心(安全)」だったはずです。

そして、その安心(安全)を確保するために、自分の意志ではなく、親の意思を尊重する術を身につけていると思います。(真逆のパターンもありますが)

 

 

多くの場合、その過程の中で、「自分」という存在を置き去りにしてしまったために、自分の中に「これが自分」という自己イメージ(アイデンティティ)を育て持つことが出来なかった。

 

このことが、自我の発達が極端に遅れているという「心理的な問題」に繋がっていると考えられます。

 

 

私は、この「心理的な問題」を毒親問題の根本としてとらえ、「自分で自分を理解し、愛し・育てる」ための心理カウンセリング/セラピーを行っています。

 


毒親育ちの心理的な特徴

毒親育ちの多くは「自分がない」「自分がいない」「自分がわからない」という感覚を持っています。

 

私の場合は「自分の顔は仮面」「その中身は空っぽ」って感じていて、よく空虚感、無価値感以上の無価値感、そんな自分が存在している事への罪悪感に苛まれていました。

 

 

これを心理学では「アイデンティティ(自己同一性)の欠如」と呼びますが、そこからくるどうしようもない恐怖や、漠然とした不安感は、経験したものでなければ理解できない苦しみだと思います。

 

 

以前の私は、よく「もしもタイムマシーンがあったら・・・」という妄想をしていました。

 

「もしもタイムマシーンがあれば、過去に戻り、子供時代をやり直して、もっと自然な形で、もっと楽に”自分”というモノを確立出来るのに・・・」って、どうしても現実逃避したくなってしまう自分がいたのです。

 

 

私は、自分のこの経験から『毒親育ちにとっての「ご自愛」と「育自」は、妄想に逃げ込んで現実から目を背けたくなるくらい苦しいことなんだ。』と言うことを、とてもよく理解できました。

  

 

私は、この映画の原作小説を読んだことで、自分が子供の頃に受けた心の傷に初めて(まだうっすらとですが)気づきました。23~24歳だったと思います。

 

それまでの私は「親は私を愛してくれている」と思い込んでました。

だから、親に対して疑問を持ったり、反発する気持ちが出てくると「こんな私はダメだ」と自分を責め、戒めていたのですが・・・次第に、親に対しても、自分を責めるばかりの自分にも、疑問を持つようになりました。

 

 

私の毒親育ちの経験には、いわゆる「虐待」がありました。

特に母親は「飴と鞭」の”鞭”を使って、私を自分の思い通りにコントロールしようとするタイプのパワハラ親でした。

 

我が母は、いつも突然、なんの前触れもなく怒り出し、暴力を振るう親だったのですが、私は一度も親の怒りの理由を理解した事がありません。いつも、自分がどうして怒られているのかわからないまま「あなたが悪い!」「謝れ!」「ごめんなさいでしょ!」と怒鳴られ、殴られ、髪を掴まれて振り回されていました。

 

それが、いつ頃から始まったのかハッキリした記憶はありませんが、5歳~6歳の頃からだったと思います。

 

 

しかし私は、その虐待さえも”虐待”だと認識したことはではなく、大人になってからもしばらくは「愛されている証拠」だと思っていました。

 

というか、そう思うことが、自分を守る唯一の術だったのでしょう。

私は、この「愛を乞う人」の原作に触れたことをきっかけに、私自身が「これは教育や躾けの一貫なんだ」と思いたかったし、そう思わなければ生きられなかったのだ。と気づきました。

 

つまり、自分を守り生きぬくために、パワハラ母を認める考え方を採用していた。ということになります。

 

 

もしも、あなたの毒親育ちの経験の中に虐待やDVがあるのでしたら、ぜひ一度、この「愛を乞う人」に触れてみることをオススメします。本当は、映画よりも小説の方をオススメしたいのですが、ここでは映画の動画ページを貼っておきます。

 

ちなみに、篠原涼子さん主演でドラマ化もされてます。


「毒親育ち」のサポートをはじめようと思ったきっかけ

これまで私は「ご自愛」のネーミングで、ブログなどでは自分を愛することの大切さをお伝えし、個人セッションやセミナーでは、私自身の経験と、お客様にも実践して頂いて効果のあった「自分を愛するトレーニング法」を教える活動をしてきました。

 

そのため、私のセッションやセミナーにお越しになるお客様は「自分を愛せるようになりたい」と望まれて来てくださった方ばかりだったのですが、蓋をあけてみると、そのほとんどが毒親育ちでした。

 

 

私の「ご自愛」をテーマにした活動は「人は自分を愛する程度にしか、他人を愛することは出来ない」 この言葉からスタートしました。

 

この言葉は、とても深いです。

深すぎて、私も未だに「まだ理解出来てないな」と気付かされ、考えさせられることが多いです。

 

 

 

そもそもの話。

私は「愛」についての考察や探求は、私たち人間にとって『永遠の課題』だと思っています。

 

愛とは、なんなんだろう?

 

なにが愛なのか?

どれが愛なのか?

どれも愛なのか?

これも愛なのか?

 

「愛」は「感情」なんだろうか?

それとも「行動」なんだろうか?

それとも「感情+行動」だろうか?

 

 

こんなの愛じゃない。

いや、愛なのかもしれない・・・。

 

嬉しくないものは、愛じゃない。

いや、そう決めつけるのは、短絡的すぎるだろう・・・

 

 

などなどなど・・・

 

考えれば考えるほど、ますます意味不明になっていくのが「愛」というもの(こと?)かもしれないと思ってます。

 

だから、だからこそ『永遠の課題だ』って思うわけです。

 

 

そして最近は

 

「愛」を考察し続けること、探求し続けること、それ自体が(も)「愛」なんだ。

 

と思うようになりました。

 


ところで、毒親育ちの人は、一言で言うと「愛を乞う人」になりやすいです。

そして、この「愛を乞う人」には、大きく分けて2種類のタイプがあります。

 

  1. 依存型
  2. 回避型

この2つです。

 

また、依存型と回避型の両方を無意識に使い分けている「混合型」もあります。

ちなみに私は「混合型」でした。

 

 

「しぶとく生きる」ということ

 

毒親育ちには「しぶとい」とは真逆の「あきらめやすい」傾向があります。

そして、この傾向が顕著に出やすいのが『人間関係』です。

 

また、あきらめるときには「どうせ」「やっぱり」「私なんて」などが常套句(口癖)になっていることが多いです。

 

ちなみに、このような口癖を、”使ってはいけないNGワード”に掲げて指導している心理カウンセラーがいるようですが、私は逆に「本音(重要ワード)」として大切に扱うようにしています。

 

なぜかというと、毒親育ちは、親との関係において「あきらめなければならない」ことが多かったために、どうしても「あきらめる」という選択になりやすいのですね。そして多くの場合、その「あきらめ」には『哀しみ』や『失望』などの傷つき固まった感情(本音)がこびりついているからです。

 

本当の意味で、大切に扱わなければならないのは、口癖にこびりついている傷ついた感情(本音)ではあるのですが、口癖そのものを強制的に封印(NGに)してしまったら、その奥にある感情(本音)を感じたり・癒すことは出来ないわけで、それでは「何のためのカウンセリング?」になってしまうわけです。

 

同業者として非常に残念なことですが、そのような心理カウンセラーが存在していることも事実なので、もし、そんな感じの違和感や不信感を感じてる方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度こちらからご相談くださればと思います。

 


❖HISTORY


1.「毒親育ち」の経験が私を優しく・強くしてくれた

 

今は、本気で、そう思っています。

 

毒親である私の母は、私がこの話をすると、いつも”したり顔”をします。

「そうよ。私が頑張ったおかげなのよ」って言います。

 

それはもう、憎ったらしいことこの上ないです!(笑)

これが他人だったら、そして今の私だったら、何の躊躇もなくスルーすることでしょう~!

 

そのくらい『大っ嫌い!』です。

 

でも、その裏には、どうしても大っ嫌いになりきれず、哀しんでいる私もいます。

どうして哀しいのかと言うと、この人を母親に選んで生まれてきた子供としての素直な気持ちは、やっぱり「ママのことは好きでいたい」からです。

 

 

『大っ嫌い!』の裏側に、同じくらいの『大好き!』が存在している。

この大きな矛盾が、私の気持ちを哀しくさせるのです。

 

 

よく、うまくいかない恋愛関係をあきらめようとするときに「いっそ嫌いになれたら」って仰る方が多いですけど、そんな心境に近いと思います。

 

 

以前は、自分の中にあるこの矛盾に気づけず、無意識の「葛藤」になっていたので、かなり苦しみましたが、自分の中にある感情としっかり向き合い、ひとつひとつ紐解いて理解(受容)することで、葛藤による苦しみからは抜け出すことができました。

 

そして、「この”哀しみ”の感情は、私が人間である以上、そう簡単には消せないものだろう」と、いい意味であきらめました。

 

ちょっとカッコ良さげに言っちゃうと「哀しみを背負って生きる」そんな人生もありなんじゃない?って感じです(笑)

 

 

 

 

そんな風に、毒のある親の存在や、毒親育ちの自分の感情を受け容れてからでしょうか?

 

自分でいうのもなんですが、優しい私、しぶとく強い私が出てきたように思います。

 

「他人は自分の鏡」と言いますが、今の私の周りには、優しくて強い人が多いので「これはきっと、類友の法則だな~」と思っています。

  

2.自己愛マザーと父の精神疾患

私の家族は長年、自己愛が強すぎる母の支配下にありました。

 

しかし、家族の誰もが「なにかが、とてもおかしい」と感じながらも、どこが、どのようにおかしいのか?ハッキリとわからないまま、強烈な支配力に押しつぶされるように生きてきました。

 

 

私の母は、家族を見下したり、否定し、非難し、こき下ろしバカにするような言動が、とても多い人です。

  

同時に、たわいもない会話の途中で突然「私を見下さないで!」「バカにしないで!」「どうして私を責めるの?」「どうして否定するの?」「私を傷つけるの?」など、被害者ポジションからの発言で、家族に罪悪感を抱かせることが得意だったりもします。

 

 

しかし。

本人には、それらの自覚が全くありません。

また、自分自身を客観視する能力が、完全に欠落しています。

そして、家族の中では、自分が最もまともで、最も善人だと思い込んでいます。

 

だから、彼女とコミュニケーションをとるときは、彼女の地雷を踏まないようにご機嫌を取りながら話すか、喧嘩や言い争いを覚悟で話すかの、どちらかしか選択肢はありません。

 

 

どちらにしても「まともな話は出来ない」ということになりますが。。。(苦笑)

 

 

今でこそ、母の状態を冷静に分析して、文字に書き起こすことが出来ますが、ほんの数年前まではホントに理解不能すぎて、彼女のことを考えるだけで気が狂いそうになることもありました。

 


私は、そんな母の気分次第の虐待と精神的ネグレクトがあった影響で、物心ついた頃から、親が家にいるときは安心したことがなく、いつも緊張状態でビクビクしながら育ちました。

 

 

私にとって、両親はどちらも脅威でした。

父が仕事に行っている間は、いつ母が怒鳴りだすか?どんなことで叩かれるのか?どこで髪を掴まれるか?気が気じゃなかったし、母の地雷を踏んでしまった日には、母が帰ってきた父に告げ口をするので、同じことで怒鳴られたり、叩かれることがよくあったからです。

 

 

しかし。

これは大人になってから気づいたことですが、私は、母に怒られたことでも、父に怒られたことでも、自分が怒られている理由や原因が、全く理解できてなかったんです。

 

ただ、いつも「怒らせてごめんなさい!」「ムカつかせてごめんなさい!」「殴らせてごめんなさい!」「髪を掴ませちゃってごめんなさい!」みたいな意味の謝罪をさせられてたことだけは、あまりに理不尽だったから覚えていてました。

 

 

 

父は、母と結婚して13年目に心のバランスを崩し、双極性障害(躁鬱病)と診断されました。

 

 


❖私の人生を変えたのは『自問』でした

 

「私の人生、このままで大丈夫?」

 

私は、それまでの自分が「自分以外の人の意志で生きてきてしまった」「なんとなーく周りに流されて生きていた」ということに、気づきました。

 

その気づきは、突然湧いてきた「私の人生、このままでいいのだろうか?」という自問によって訪れたのですが、速攻で「ダメでしょ?たぶん、何かが根本的に間違ってるよ。」という答えが、自分の中から湧いてきて・・・

 

その自分からの答えに、私はひどくショックを受け、生まれて初めてくらいの勢いで自分自身と向き合った結果の・・・私にとっては非情で残念な「気づき」でした。 

 

 

けれど。

あの「気づき」が、私の人生を180度変えるきっかけとなりました。

 

 

自分以外の人の意志で生きてきてしまった自分

なんとなーく周りに流されて生きていた自分

 

このままで、いいわけないよね?

ダメだよね?

 

じゃぁ、どうしたらいいんだろう・・・?

今の私には、何が必要なんだろう?

 

 

当時の私には、そこまでの考え方(疑問)しか思い浮かばなかったので、とにかくネットで検索をしまくって、その「答え」らしきものを探しました。

 

❖スピリチュアルとの出会い

まず最初に、ある方のブログに描かれていた、スピリチュアル(精神世界)の思想に出会いました。

 

そのブログには、それまでの私が聴いてきた思想(常識や一般論)とは「真逆」の思想が書かれていました。しかも、私がうすうす「そうじゃなくて、こうじゃないのかな?(私が変なのかな?)」と感じていたことが書かれていたので、目からウロコが落ちる想いで、その世界観に一気にのめり込んでいきました。

 

 

それから1年間、スピリチュアル(精神世界)の思想にどっぷりとハマり、レイキヒーリング、誕生数秘学、チャネリングなどのスキルを身につけ、日々の生活の中で実践を積んだことで、自らの心の平安を保つことは出来るようになったものの、その一方で「現実的(特に人間関係)に変化を起こす」という面においては、そのスキルがほとんど役に立っていない事に気がつきました。

 

もっと直接的で具体的な「心を動かす方法」があるはず・・・

 

そう考えて、またもやネットを検索しまくって心理学とNLP(心理療法の一種)に出会いました。

 

毎日の生活の中で実践と試行錯誤を繰り返しながら、自己探求と、自分を取り戻す「自己回復」、自分を育てなおす「育自」を進めてきました。

 


❖無謀なチャレンジャー

8歳からピアノを習い始め、中1で一度挫折(レッスンより部活を選択)するも、中3で「やっぱり音楽やりたい!」と一念発起。高校入学と同時に音大進学を目指して猛特訓を開始。

 

当初は小学校5年生レベルだった腕前を、たった3年間で日本最高峰の音楽短大の合格ラインにまでレベルアップさせた努力の人。

 

1989年 桐朋学園大学短期大学部芸術科音楽専攻卒

在学中は毎日、宇都宮の実家から往復5時間かけて通学しました。

 

卒業後 一般企業に就職(地元の建設会社)

周りからは「あんなに苦労したのに?!」と驚かれたが、本人には苦労したつもりがなく(よって執着もなく)ピアノ教師の未来に希望を見いだせなかったのと、自らの「男性恐怖症」的な感覚に気づいていたため、それを克服したくて一般企業を選択。

 

建設会社の男女比率は、およそ20:1。

ありがたいことに男性の上司や先輩からは、とても愛がっていただけたので、男性に対する恐怖はすぐに消え去り、逆に女嫌いになった・・・💦

 

1994年 25歳で実家を出て上京 妹と同居(12年間)

当時は「東京でやりたいことがある!」という理由での上京だったが、のちに「母親から逃げたいだけだった」ということに気づく。

❖経歴と職歴の中で経験した心の変化

短大卒業後

地元宇都宮の建設会社に入社

 

そこでOLをするかたわら

声楽家としての演奏活動と

ちびっ子の音楽教育に従事

 

 

入社半年が経った頃から

直属の女上司(母と同い年)からの

意味不明で陰湿な個人攻撃が始まる

 


社内で彼女と親しい人たちに相談したが

「耐える」「我慢する」以外のアドバイスは頂けず

 

自分なりにも色々と悩み・考え

態度を改めるなど頑張ってはみたが

ますます悪化するばかりで失敗(^_^;

 

 

最終的に「女性特有の嫉妬」と断定

攻撃を華麗にスルーして自分を守る術を覚えた(笑)

 

 

ただその間は、ストレスによる(と思われる)

片頭痛、高血圧、微熱、むくみなどの

体の不調が恒常的に続いていて

 

お局の攻撃開始から9ヶ月目頃に、摂食障害の過食嘔吐が始まる。

(摂食障害とは以後12年ちょっとのお付き合いが続いた)

 

 

そんなこんな日々を2年半続けたが

挑戦してみたい仕事を見つけたので丸3年で退社

 

 

事務職を3年間経験した中で私は、自分のいわゆる「強み」を見つけていた。

 

『声』だった。

 

とにかく電話対応が大好きで、

クイズドレミファドン!の回答者並みの勢いで、

事務所に入る電話を嬉々として受けていたし、

 

とにかく、毎日のように

「今日もいい声だねー」とか

「みゆちゃんの声を聴くと元気になるよー」とか

 

社内外問わず「声」を褒められ続けていたことで

「もしかして、私の声って武器?」と気づいた。

 

 

その気づきから生まれた望み

「声を使った仕事がしたい!」だった。

 

それからしばらく、友人や知人に

「声を使った仕事、ないかなー?」と

声をかけまくっていたところ

 

ある日

「結婚式の司会者募集してるらしいよ!

 みゆちゃんのこと話しておいたから!」と

友達から連絡がっ!

 

 

同時期に

「結婚式の司会者募集してるよ!」と

母が見つけてくれた求人広告を見てびっくり!

 

 

なんと、友達が連絡をくれたのと

同じプロダクションの募集広告だったのだ!

 

これはもう「ご縁」を感じざるを得ない。

 

ということで、次の道は決まった。

(今思えば、引き寄せの法則がバリバリ働いていた)

 

 

事務職兼任の正社員としての雇用だったけど

司会者としては「修行の身」ということで月給9万円でスタート。

 

 

栃木訛りを標準語化する矯正と、胸を張って人前に立つマインドのコントロールには、めちゃくちゃ苦労したが、3か月間の猛特訓の末、司会者デビュー!

 

約3年間 平均で毎月10本前後のご披露宴を担当した。 


その後の12年間で

 

ブライダル司会、イベント司会、

テレフォンオペレーター

テレフォンアポインター、

システム管理者、クレーム処理、

ホームページデザイナー

ホステス、飲食業のホールスタッフ

IT企業の広報担当など

 

23の職場を渡り歩き、10種類くらいの業種・職種を経験

(常に2足以上のわらじを履いていた)

 

 

好奇心旺盛で、「色んな世界を知りたい!」と自ら望んで、様々な職を転々としていたつもりだったが・・・

 

その実態は、ほとんどの職場で直属の上司との関係がうまく築けずに悩むことが多く、いつも”生きづらさ”を感じていた。

 

 

ちなみに、人間関係が良好で楽しかった職場も3社あったのだが 、その3社は全て倒産してしまった。

 

30歳からの3年間で3社連続の企業倒産に遭遇・・・!

 

まるで、ツイてないアラサー女性が主人公のコメディドラマを観ているかのような経験をした(苦笑)


34歳で入社した最後の勤務先で、人生最大のターニングポイントを迎えた。

 

 

この職場でも、やはり入社後1か月で上司との関係に悩んだのだが

 

その悩みをきっかけに「私の人生、このままでいいのかな?」という疑問が湧いてきて、生まれて初めて「自分の人生」と向き合うこととなる。

 

やがて「私は根本的な何かを変えなければならないのかも?」と気づき、自己探求をはじめた。

 

 

その気づきのショックは、かなり深く、無我夢中で「そのための道」を探したところはづき虹映氏のスピリチュアル論に出会い「私が求めていたのはこれだ!」と確信❤

 

 

一気に、スピリチュアルな学びにのめりこみ

 

❤自分の内側としっかり向き合う

❤自分自身を理解する

❤自分の人生を真剣に考える

 

という作業をガッツリやった結果、人生初の上司との関係修復に成功する(*´▽`*)

 

 

また、その効果は「関係修復」にとどまらず、上司と部下の深い信頼関係を築くこともできた。

 

そして、その信頼の波動は、部内の人間関係や、部署をまたいでの人間関係にも、次々に波及していき、楽しく嬉しいワクワクするつながりがどんどん増えていった。

 

 

そして私は、そのつながりの中に、ピカリンと輝く、現ダーリンの存在を見つけたのだった~♪( ´艸`)

 

 

この一連の流れは、まさにミラクル!だったと感じている。 

 


❖恋愛と結婚について

 

恋愛に関しては・・・

恋多き人生ではあったものの

 

のめりこんで好きになる相手は全員、彼女がいる人か、妻子持ちで、私はセカンド&不倫の常習者だった。

 

 

 

ただし、略奪愛の願望はなくて、基本スタンスは「来るもの拒まず・去る者追わず」だった。

 

 まるで・・・オトコだ・・・と、今は思う(笑)

 

 

 

 

34歳の時。

生まれて初めて「ずっと一緒にいたい。結婚したい!」と思える男性と出会った。

 

 

それまで、頑固なまでに「結婚」という選択を、自分の人生から排除していた私にとって、その出会いはまさしく「運命の出逢い」だった。

 

 

だって

 

結婚というものに「夢」どころか、希望のひとかけらさえ持ってなかった私の人生観を、180度ひっくり返して

 

誰かと一緒に生きるシアワセってあるんだ❤

 

と気づかせてくれた人なのだから(⌒∇⌒)

 

 

 

しかし、その運命の出逢いは「結婚」には、つながっていなかった。

 

 

 

付き合い始めて3年が経ったころ、彼には、私以外にもう一人ステディな関係の女性がいることがわかった。

 

 

 

彼の口から聞かされたのではなく、なんとなく感じていた違和感に耐えられずに、メールを盗み見したことで判明した事だった。

 

 

(注:イイ子は真似しないようにね!!)

 

 

 

ショックだった・・・。

ショックすぎた。

 

 

 

一番にショックだったのは

 

 

やっぱり私は、

セカンド用の女だってこと?!

 

 

神様に、そう突きつけられたように感じられたことだった(笑)

 

 

 

やっと見つけた・・・

 

誰かと一緒に生きるシアワセ❤

 

だったのに・・・

 

 

 

やっと自分を幸せにしてあげることに、許可が出せて、嬉しかったのに・・・

 

 

やっぱり私はセカンド程度なのーーー?!

 

それまでは、自分の人生を楽天的にとらえていた私だったが

 

この時ばかりは、ショックすぎて、文字通り「人生に絶望」し、自殺も、、、考えた。

 

 

でも、いざ死ぬ方法を具体的に考え始めたら「死ぬ勇気を持つより、生きる勇気を持つ方が簡単だ!」と考えが一転。

 

 

 

「彼と結婚する!」という希望はそのままに

 

自分自身と、しっかり向き合い、本当の意味での自分にとっての幸せを追求、探求する生き方にシフトした。

 

 


その後、はづき虹映氏、心屋仁之助氏との出会いをきっかけに、スピリチュアルや心理などの「目に見えない世界」を学び、日々の実践を始める。

 

 

 

そこで私が、はじめに気づいたことは

 

それまでの自分の身に起きた様々な困難は、すべて”私に必要で大切なメッセージだった”

 

ということだった。

 

 

 

そして、自分の魂の求める道が

「目に見えない世界の探求」であることにも気付き

 

・ヒーリング

・リーディング

・チャネリング

・カウンセリング

・心理療法の技術

 

約1年間で一気に習得して

今につながる道を、一目散に進んできた。

 

 

 

私にとって、それらの習得・学びは

イコール 自分自身と真剣に向き合い、

ありのままの自分を認め・愛する

「幸せのための自分改革と自分育て」のプロセスだった。

 

 

そして、そのプロセスが一段落したとき、

絶妙なタイミングで、今の主人と出会った。

 

 

主人は、私が、それまでに愛した男たちの

「素敵なところ」を全て兼ね備えていて、

 

(過去の)彼らに、

決定的に欠けていた部分(私にとって)を持っている人だった。

 

 

 

主人と出逢ったときの私は

 

 

「本当の自分を生き始めた私へのギフトだな・・・」

 

 

と感じ 

 

 

「この人と生きれば、もっと自分を活かすことが出来る」

「彼もきっと、自分を活かすことができる」

 

 

と確信。 

 

 

 

 

初めてのデートから約1ヶ月で

 

自己探求を始めてから8か月間は、どうしても、諦められなかった「彼」との希望的な未来への執着を手放し、今の主人との結婚を決め、半年後に入籍。

 

 

今年6月に結婚生活11周年を迎えた今でも、まさに、私の確信どおりの「お互いに自分を活かす」方向に歩んでいると実感している❤

 

 

あの時、希望を捨てず、あきらめずに、生きることを選び、がんばり抜いた私に・・・感謝!!!(*^▽^*)

 


主な資格取得・経歴

 

2006年

現代レイキ サードディグリー伝授

 

2007年4月

日本誕生数秘学協会 誕生数秘学カウンセラー認定

 

2007年5月

心屋仁之助氏に師事

 

2007年7月

ネット占いで鑑定士をはじめる(1年間で約400名を鑑定)

 

2007年9月
心屋心理療法マスターコース修了

 

修了後 約3年間

心屋氏のセミナーアシスタントを務める

 

 

2008年3月

誕生数秘学入門講座を自主開催

これが講師としてのデビューとなる

  

2008年10月

心理カウンセラーとして独立

自宅でカウンセリング業務をはじめる

 

2012年1月

乙女のご自愛道場を立ち上げ

ご自愛マスターコースをスタート

 

2012年2月

おのころ心平氏に師事

自然治癒力学校主宰

ココロとカラダ塾 認定講師コース修了


2013年2月~2014年8月

自然治癒力学校にて

(東京・横浜・神戸・名古屋・仙台の各教室)

心理の講座を監修し講師を務める

 

2013年12月

クエスト研究所

アートセラピー・メンタルケアアドバイザ―認定

 

2014年9月

ご自愛カウンセラー養成講座をスタート

 

2015年4月

一般社団法人日本プロカウンセリング協会認定

2級カウンセラー養成講座修了

 

2015年6月 

一般社団法人日本プロカウンセリング協会認定

FITファシリテーター資格認定講座修了

 


2016年5月
 

一般社団法人日本プロカウンセリング協会認定

1級カウンセラー養成講座修了

 

2016年6月 

一般社団法人日本プロカウンセリング協会認定

ビヘイビアタイプⓇメソッドセミナー修了

ビヘイビアタイプⓇコミュニケーションセミナー修了